【書評】私とは何か 「個人」から「分人」へ

読んだ後に世界の見え方が少し変わる本、というのがある。自分にとってはこの本もそうだった。

 

自分も「ぶれない確固たる私」というものに憧れていた。お客さんとの会食で愛想笑いしたり追従笑いしたりで、頬の筋肉が強張ってくるたびに「造っている自分」に嫌気がさしてくる。

 

そして、誰に対しても態度が変わらないようにみえる人に会うと、「格好いいなぁ」と思う。

 

ただ、そんな人物を著者は「面倒くさい奴」と一刀両断に切り捨てる。確固たる唯一の自分などというものはなく、相対する人に応じた自分の中の「分人」が存在し、「分人」の総合体が自分なのだと。

 

個々の「分人」に主従の関係はなく、比率の問題でしかない。そのときどきに、自分の拠り所となる「分人」を大切にすればよい(ex. 学校でいじめられている「分人」ではなく、家族とくつろいでいる「分人」など)という捉え方。

 

たしかに、こういった捉え方をすると何となく心が軽くなるし、会食で愛想笑いを頑張っている「分人」の自分も愛おしく思えてくるではないか。

 

アドラー心理学の「すべての人間関係を横の関係で捉えろ(上下関係ではなく)」という考え方には「現実問題そんなん無理やろ」と思うけど、「分人」という考え方は現実に即していて受け入れやすい。著者の小説も読んでみたくなった。